ジャッジしてもいいんだよ。

スピリチュアルや宗教なんかを勉強すると「善悪を判断(ジャッジ)しない」的な内容が出てくるかと思います。

私自身、「必要以上のジャッジ」は人生をしんどくさせる行為ベスト3に入ると思っていて、ジャッジの少なさは生きやすさにつながると感じています。

だから、自分に対しても他人に対してもジャッジする気持ちが少ないに越したことはありませんが、ジャッジしてしまったからといって自分を責める必要もないんですね。

そもそもジャッジって、この3次元で肉体を持っている私たちが自分の身を守るために必要なことなんです。

変なおじさんに声をかけられてついて行ったら、やばそうじゃないですか、、?汗

だから、ジャッジは必要。肉体を持つ私たちの本能みたいなものです。

あとは、少なくとも日本人は、◯×の正解があって ◯の数で優劣がつくような教育を受けてきていますよね。

だから、「他人から◯をたくさんもらうのが正解」みたいな無意識の感情って、もうみんな当たり前に持っていると思います。

私は仕事柄 採用面接をする機会が多く、面接は求職者のかたと企業が相互理解を進める場と考えてはいますが、「ジャッジされる」という意識を持って臨まれるかたはとても多いです(実際、採用・不採用も出しますし)。

とはいえ、ほとんどの日本人が他人からたくさん◯をもらうための教育を受けてきたので、「面接=ジャッジされる」と思うのは、もう当然の反応だとも思うんですね。

なんなら企業側も、求職者の方にジャッジされていますし^^;

でも、ジャッジするかしないかって、どうでもいいんです。

お互いにジャッジしようがしなかろうが、求職者は自分に合った会社や働き方に巡り逢えればいいんだし、企業は自社で働くことでより能力を発揮できる人材に入社してもらえれば良いんです。

3次元で生きている以上、ジャッジが必要な時もたくさんあります。

ジャッジの思考が少ないほうが生きやすくはなりますが、もう本能みたいなものなのであまり気にしなくてもいいのかなーと。

ジャッジしてしまう自分を見つけたら「あー。私 今、ジャッジしたわー。」ぐらいに思っておきましょう。

ジャッジはしてもしなくてもOK。

そして、ジャッジした自分を責める必要もないです。

「それはわかっているんだけど!ジャッジした自分を責めちゃうんです!」

そんなかたへ向けて、次回は必要以上のジャッジを軽減させるワークをご紹介いたしますね^^ 

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