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40歳を過ぎての結婚・出産。築いたキャリアをあきらめて育む自分らしい愛し方

えり

あきらめて人生が好転した経験をインタビューしています。

「あきらめるってどういうこと?」と思われたかたは、こちらのページをお読みください。

今回お話を伺ったのは、田中 仁美(たなか ひとみ)さんです。愛知県岡崎市にて、お香と筆もじの香房 真仁堂(まじんどう)〜majindo〜 の店主をされています。

40歳を過ぎて少し遅めの結婚、妊娠。
小学生の一人娘のお母さんで、8歳年下のご主人から愛される姉さん女房でもあります。

お香や筆もじは出産後に学びはじめたそうで、その奥深さに魅せられて師範になり、2019年に開業。コロナ前はお子さんを連れて、お香づくりや筆もじのワークショップを開催していたとか。

真仁堂のショップを見ると、色とりどりの袋に包まれたお香がたくさん!用途もさまざまで、どれを買おうか迷ってしまいます!

真仁堂オンラインショップより

そんな田中さんですが、出産前はバリバリのキャリアウーマンでした。医療事務の現場一筋でキャリアを築き上げ、仕事も趣味も全力!結婚前は中間管理職として、重要な職務を担ってきました。

出産後も復帰してがんばりたいと考えていたものの、思うように育児に集中ができず、田中さんは退職を決意。そして今に至ります。

会社員時代と比べれば、個人事業主2年目の今は、まだまだ経済的には不安定。

それでも、今の生き方を選んだ田中さん。どのような思いがあるのでしょうか?

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真仁堂〜majindo〜 店主 田中仁美プロフィール

真仁堂(まじんどう)〜majindo〜 店主 田中仁美

愛知県岡崎市にて、お香と筆もじの真仁堂を運営。

医療事務の現場で長年勤め上げ、30代後半には中間管理職に抜擢。仕事に趣味に充実した日々だったものの、結婚だけはなかなかご縁が巡ってこなかった。

40代前半で8歳年下のご主人と出会い、知り合ってから9ヶ月後にプロポーズ。お互いの仕事のタイミングで佳き日に入籍。43歳で妊娠。ハイリスク出産ではあったものの、自然妊娠・自然分娩で一児の母となる。

出産後に復職を試みるものの、子供との時間をしっかりとるために退職。その後、筆もじやお香を習い始め、その魅力に惹かれて師範を取得。2019年に真仁堂を開業する。

お香の販売や、お香製作・パステルアートのワークショップを開催しながら、小学生になった愛娘やご主人との時間を大切に日々過ごしている。

真仁堂〜majindo〜

築き上げたキャリアの延長に生まれた葛藤と幸福

佐藤 どうぞよろしくおねがいいたします!さっそくですが、田中さんのあきらめたことはなんでしょうか?

田中 一番は、前の仕事を退職したことですね。真仁堂を開業するきっかけにもなりました。

佐藤 そうなんですね。詳しくお聞かせいただけますか。

田中 ずっと医療事務の仕事をしてきました。最初は24歳の時。当時では珍しい、カルテのコンピュータ入力や治療費の請求業務がメインの仕事でした。学校に通わずに勤務しながら勉強をしてきましたね。

各医療機関にてキャリアを積んで、それなりの年齢になって結婚も意識するようになりました。でも、どちらかといえば仕事優先で生きてきました。

30歳を過ぎたら、人生も楽しみたいし、でもやっぱり婚活もしたいしで…。

紹介もしていただきましたが、「どうせ結婚するなら最後まで添い遂げたい」っていう思いはあってもご縁がなく、「いつかどこかでいい人が現れるかな〜」なんて思っていましたね。

佐藤 そうですよね。せっかくならずっと一緒にいられる人がいいですよね。

田中 そうなんです。仕事もがんばって、いろいろ任されるようにもなりました。けっこう大事な役目だったからかストレスもあって、だから旅行などで発散していた感じですね。

人生を謳歌していました。婚活以外は。

女性は出産のタイムリミットがあるじゃないですか。30代後半になって「私、タイムリミットが近づいてるじゃん。」っていうことにふと気がついたんです。

そこからは本気で焦りました。結婚はできても、子供ってまた別じゃないですか。

でも仕事はどんどん大変になって…。現場と幹部の間に挟まれる状態が続きました。自分のやっていることを誰かにやってもらおうとすると、潰れちゃったり…。人が育たなくて、ひとりで抱え込んでいましたね。

43歳で結婚。そして妊娠。

40歳を過ぎて「もうダメだ」みたいな…。結婚をまさにあきらめかけていたその時に、ご縁があって今の主人と出会ったんです!

佐藤 へぇー!

田中 主人は8歳下なので、「私は結婚前提なんだけど。年齢的に後がないから」と伝えました。そうしたら「僕ももちろん結婚前提です」という感じで。

当時、主人は35歳ぐらいで私が42歳だったかな。そこからトントン拍子で結婚までいきました。周りは「よかったねおめでとう!」って言ってくれたんです。でも、「仕事はそのまま続けるよね?」みたいな。笑

私自身もやめる気はありませんでしたし、ここまでがんばってきたっていう自負もありました。

でも、ほとんどが一人でやっている仕事だったからか、

新婚旅行の話をしたときは 一瞬「え?」という空気になりました。「1週間ぐらいなら、まーなんとかなるでしょう」ということで、繁忙期を外して仕事に影響が出ないタイミングで計画しました。

主人にも協力してもらい、結婚式も仕事に影響が出ないような日に挙げました。結婚式をした翌日仕事みたいな感じで。繁忙期を外すことを条件に新婚旅行の予約もした矢先、おめでたが発覚したんです。

佐藤 へぇ〜!

田中 以前から子供の話はしていましたが、主人は若いからか、すべての会話において「できる」のが前提なんですよね。

「私の年齢的にタイムリミットが近い」っていうことがピンとこないみたいで。そういう話をしても「大丈夫でしょ〜」みたいな感じでした。

それでもいろいろ話して「1年は流れに任せてみて、それでできなかったら不妊治療をしようか。それでもダメだったら、子供の代わりじゃないけどペットを飼っていいよ」なんて話まではつけたんですね。

そんな矢先に妊娠がわかりました。お互いの仕事の都合を擦り合わせて入籍や結婚式をずらしていたので、結婚式のときには妊娠していたみたいです。

本当に順調にポンポンポンって進みましたが、この時期はすごい怒涛の毎日でしたね。

祝福されると思っていたけど…

田中 妊娠がわかって身内からは「おめでとう!よかったね!」と言ってもらえましたが、それ以外の周りは「え?」という反応になるんですよね。

「おめでとう」と口では言ってますが、「仕事どうするの?」という感じでした。結婚までは「おめでとう!よかったね!」って、本当に心から思っていただけたのだと思いますが…。「40歳オーバーで妊娠?は?」みたいな…。

佐藤 なんと…。

田中 本当、すごかったですね。「その歳で大丈夫?」とか、口では本当に心配してるふうなんですけど「じゃあ、仕事は誰がやるの?」みたいな。

佐藤 裏メッセージみたいなものが伝わってきたんですね。

田中 無意識のマウントみたいな感じですね。職場には私と同い年で、孫までいる人もいたので。

同世代だと子供が働き始めた人もいるし、下の子が中学・高校っていうレベルだから、もう何十年も経ってるわけですよね。

だからなのか、「え?今さら妊娠?」っていうのがすごい強かったみたいで…。「大丈夫?」「もう大変だよ?!」って言われましたね。

佐藤 そんなこと言われてもという感じですね…。

優先すべきは仕事?子供?

田中 病院でも、「え?初産?」みたいな反応でした。赤ちゃんが入っている卵胞が見つかっても「おめでとう」は言ってもらえませんでした。

佐藤 なるほど…。流産の可能性が高いから、すぐには「おめでとう」って言わない感じなんですかね。

田中 「ここに一応、あるね〜」みたいな感じ。うちの病院ではちょっと見れないからということで、大学病院を紹介されました。

今、ハイリスク出産って35歳まで下がったんですけど、私はその時40歳を過ぎていたんですね。
だからもう完全にレッドゾーン。だから、ここに赤ちゃんがいるってわかっても「おめでとうございます」の言葉はなくて、淡々と「紹介状書くから」という感じでしたね。

私自身は「妊娠したんだ!」っていう喜びと、先生の反応に対する衝撃がありました。初めて産婦人科に妊娠して行ってるのに、ハイリスクなのでそういう扱いなんですよね。

佐藤 お子さんが無事に生まれてよかったですね。今、おいくつなんですか?

田中 今年、小学校2年生になる女の子です。おかげさまで自然妊娠、自然分娩です。

妊娠しても仕事が中心でしたね。仕事終わりや仕事の合間に通院するっていうのを想定して、職場に近い安城更生病院にかかりました。

佐藤 出産ギリギリまでお仕事されて、それでも自然分娩で健康に産まれてきてくれたなんてすごい!いつぐらいまで働いていたのでしょうか。

田中 出産の1ヶ月前ですね

佐藤 出産後はいつから復帰されたんですか?

田中 一応、産前産後の規定どおりに休んで復帰しました。自分がいい歳だってわかってるし、たぶん最初で最後の子になる可能性が高いじゃないですか。

仕事と子供、どっちを優先すべきかって考えたら「子供でしょ」っていうのがあって。

仕事は誰かに代わってもらえるけど、子供は代わりはないじゃないですか。ギリギリまで働いて、万が一何かあっても怖いよねと思って。

病院までは運転していかなきゃいけないし、いくら先生から「大丈夫、なにもない」って言われても、もし子供になにかあったら怖いから。

安全をとって、出産する人に優しい保証や育児休暇をフルで使わせてもらおうと思ったんですけど…。それさえも嫌味を言われました。

子供を産んだことは悪いこと?

佐藤 なんと…。どんなことを言われたのでしょうか?

田中 「こんなに早く休むとは思わなかった」と。

佐藤 なんと!1ヶ月前ですよね?そんな感じだと思っていましたが…。

田中 医療事務だったので、「なんならここ(職場)で陣痛がきても大丈夫だよ」みたいなことも言われました。要は「病院だし対処できるから生まれる寸前まで働け」っていう意味なんだと思います。

佐藤 いやいや、それはちょっと無理ですね…。

田中 シフトの件とかもあるから早めに、出産1ヶ月前に「この日から休みたいです」って言ったんです。そしたらもうずっと、その1ヶ月間は毎日のように嫌味を言われ続けました。

産前産後で2〜3ヶ月は休んでしまうので、引き継ぎもあるからと思って早めに言ったのに、言っただけず〜っと嫌味を言われ続けて。周りの同僚とかに「早く言い過ぎよ」と言われました。

佐藤 トータルでどのくらいお休みされたのでしょうか。そんなに長く休めなさそう…。

田中 3ヶ月ですね。出産前1ヶ月で、出産後2ヶ月です。

佐藤 産前産後の休暇ですね。育休は取ってなかったんですか?

田中 育休は取れませんでした。でも復職してみたら、やっぱりちょっと大変だったんです。なので「育休を今から取らせてもらっていいですか」と聞いたら、「は?」っていう感じでしたね。

佐藤 えぇ〜。

田中 「今まで出勤した分のお給料は取り消してもらってもいいから、育休を取らせてください」って言ったらすごい怒られましたね。

佐藤 いやいやいや。出産後の数ヶ月じゃ、体調戻らなくないですか?汗

田中 そうですね。やっぱり年齢もありましたし、家と子供のことでけっこう大変で。仕事もがんばれるように家族にもサポートしてもらったんですよ。

子供が不明熱で入院したときも、病院から職場に行きました。不明熱でなにがあるかわからないので「子供の入院初日だけは休ませて」って言ったら、「ほら見たことか」って。私が子供を産んだことが悪いみたいな感じで…。

佐藤 それは…。

田中 けっこう追い詰められましたが、次の日からは普通に出勤しました。私は病院から出勤して病院に戻って、昼間は母に病院に行ってもらう。そんなこともありました。

キャリアをあきらめてでも育みたい新しい働き方

佐藤 そうでしたか。「お仕事を続けることをあきらめた」とご連絡をいただいておりましたが。真仁堂を開業するきっかけはなんだったのでしょうか?

田中 やめるときは、その先のことも考えずに「とにかくやめなきゃ」という感じでした。

「ストレスを抱えれば子供にも影響が悪いし、家でもギスギスするから、もうそんなんだったらやめたら?」って主人にも言われて。

もうそこまでされたら正直、未練もないよねって感じで…。

佐藤 そうだったんですね。真仁堂〜majindo〜 を開業されたのはどうしてだったのでしょうか?

田中 はじめは「開業」っていう感覚ではなかったんですね。

出産直後に筆もじと出会ったのが最初で。その時は師範になるとかは考えてなくて、単なるストレス解消でした。

そのうちに、「子供が大きくなったら、ママ友や子供とのコミュニケーションのきっかけになったらな」と思うようになり、師範になりました。

私自身はけっこういい年齢ですし人付き合いが下手なので、子供が苦労しないように。何かきっかけがあれば「え?そうなんですか!」って広がるじゃないですか。

他にも、手形と足形のパステルワークを習ってディプロマをもらって、なんていうことを積み重ねてきました。

田中さんのFacebookより

なるべく一緒にいたいから

コロナになる前は岡崎や三河など、いろんなところでワークショップが開催されていました。平日だとママさん対象が多いので、私も出店できたらちょっとお小遣い稼ぎになるかなあと。

やっぱり働いたときに「迷惑かける」っていうのをちょっと経験してしまったので。小さい子を預けてまでパートに出ることに、ちょっと気が引けてた時期でもありました。

「子供と一緒に参加できたらいいな」という思いでやっていたからか、出店して稼ぐというよりも子供と楽しむ方が多くなってましたね。

佐藤 出店しても、原点は「お子さんのため」という感じなんですね。

田中 そうですね。子供が生まれてからは、やっぱりどこか「子供のため」というのはありますね。自分のためもあるけど、結局は子供ですね。

今も正直、経済的には回ってはいない状態なんですよね。安定しているわけではないので、安定したいな〜って思うと「パートに出た方がいいかなあ」とか、思うんですよね。

だけど「子供が帰ってきたときに家にいてあげたい」って、思いも強くて。

今って学校や幼稚園の、子供たちの予定って急に変わるんですよ。「なくなりました、この日に変更になります」という感じで。

働きに出ると、子供中心に合わせにくいじゃないですか。それがあるので、なかなか二の足を踏んでいます。「あぁ〜。収入ほしいな〜でもな〜」みたいな感じ。

田中さんのFacebookより

奥深さに魅せられ講師の道へ

お香も、最初は「お香って自分で作れるんだ」という興味がきっかけでした。そこから勉強していくうちに、だんだんとお香の奥深さを知りました。

今は「お香が自分で作れるんだよ」っていうのを、皆さんに知っていただきたくて講師をしています。

佐藤 「お香の奥深さ」は、どんなところにあるのでしょうか?

田中 いろいろありますが、日本に入ってきたのは仏教と同じぐらいで、歴史としては古いんですね。一概に「お香」って言うんですけど、現在も漢方薬としても使われています。

そうですね。例えば、お香でいう「八角(はっかく)」ってわかりますか?

佐藤 え〜…。スターアニスのことでしょうか?

田中 そうです!スターアニスです!あれもお香なんですよ。

佐藤 あ〜!独特の匂いしますもんね!

田中 そうそう!他にはシナモン。お香では「桂皮(けいひ)」と言います。

佐藤 そういえば!

田中 仏教と一緒に日本に入ってきて、気がついたら日常に紛れ込んでいる。かと思えば、今でもお薬の材料として使われている。他にも正倉院に飾られてる防虫剤「えび香」、あれもお香なんですよ。

佐藤 へ〜!

田中 いろんなところに存在している、嗅いだことがある。でも「お香」って言われないと誰もわからない。

佐藤 わからないですね〜。スターアニスもシナモンも、お菓子を作るときに使いますが、お香なんて知りませんでした!

田中 そうなんですよ。スターアニスは「大茴香(だいういきょ)」っていう名前なんですよ。

田中さんのFacebookより

信頼できる最愛のパートナー

佐藤 田中さんのお話してる表情が、会社員時代のお話してるときの表情と全然違う!本当に楽しいんだなって思います。

田中 会社は、楽しいよりも生活のために必要なお金を稼ぐ場所だったので。お金がないと困る、楽しいと一緒にするにはちょっと違う…。

ひとりで生きていくために必要なお金って、けっこう大変じゃないですか。今は主人がもう稼いでくださってるので、そういう意味では気が楽なんですよね。

佐藤 素敵ですね〜。 それまで自分も稼いでいると、ご主人のお金で生活するのに罪悪感を感じる人もいると思うのですが、田中さんはそういうことはなかったのでしょうか?

田中 罪悪感かぁ…。主人のお金で贅沢をするときには感じますね。笑

佐藤 あ〜、それはそうかもしれません。笑

田中 主人に「ごめんなさいね〜」って言いながら友達とランチに行くって伝えると、「俺は〜?」って言われます。

生活に支障がない分で、お小遣いの金額は決めていませんが「お小遣いの範囲でならいいよ」って言われてます。笑

佐藤 ご主人お優しいですね。お話を聞いてて、田中さんへの愛を感じますね。

田中 今では介護してもらってます。最近は私がすっとぼけることが多いので。笑

田中さんとご主人(田中さんのFacebookより)
家族みんなで(田中さんのFacebookより)

やりたいものがあればチャレンジさせてあげたい

佐藤 これからの展望を教えていただけますか。

田中 これから子供がどんどん大きくなっていくので、いろんなことをチャレンジさせてあげたいなっていうのはあります。

主人とも話していて。生活に支障がない限りは、子供がやりたいものがあればやらせてあげたいっていうのがあります。年齢がいってからの子供なので、余計にそう思うのかもしれません。

自分の可能性にチャレンジできるものならチャレンジさせてあげたい。そこで広がる世界ってあるじゃないですか。

私も主人も両親が共働きだったんですけど、幼少期は「もうそんなことやらなくていい」とか「お金がないんだから」って、止められたことってあるんですね。

そういうのを経験してきてるので、やりたいことがあればできるだけやらせてあげたい。その中で、いずれは将来の役に立つことが見つかるんじゃないかって思うので。

サラリーマンで働いていれば決まった金額がいただけますが、正直それじゃ今は足りない状態。だから、私の仕事で補えていけたらいいな。

今は切り崩しの状態なので、貯金を増やして、その中で子供のやりたいことに回したいというのが、収入を得たい理由です。やっぱり子供のためですね。

田中さんのFacebookより

やりたいと思ったらやってみる!「自分のタイミング」でわかる時がくるから

佐藤 ありがとうございます。最後に、一歩踏み出したいけどなかなか踏み出せない人へ、一言いただけますか。

田中 やってみたいと思ったら一度はやってみて。チャレンジは必要ですね。

そこで、自分ができるできない、向き不向きって見えてくるじゃないですか。向かないことに果敢にチャレンジする必要はないと思うんですよ。

佐藤 あ〜。私もすごく思います。

田中 そこで向かなくて見切りをつけたら、それは「あきらめる」だと思います。

佐藤 やってみないとわからない部分って、多いですよね。

田中 逆に、やってもいないのに「あきらめる」っていうのはもったいないかな。チャレンジしてみて、その人のタイミングで向き不向きがわかるときがくると思うんですね。

周りから見て「向いてないな」って思われていたとしても、本人が「できる」と思えばそれはまだチャレンジの途中だと思うので。

見切りも大事ですけどね。見切るタイミングも必要で、その時があきらめるっていうことじゃないかな。

佐藤 「他の人の良い」が「自分の良い」とは限らないですもんね。

田中 自分は自分、人は人。

「だって人間だもの」って 相田みつおが言ってますけど、失言することだってあるんですよね。それを許してもらえるかもらえないかっていうのも、相手次第なんですよね。

そこで許してもらえない相手との関係修復に時間をかけるよりは、自分のことわかってもらえる人を探した方が早いのかなって、たまに思ったりします。

会社員は選べないんですよね。今いるメンバーの中でいかに味方を見つけるかなんですよ。でも、それって相性っていうのも出てくるから…。良くも悪くも個人事業かなって。がんばった分、確かに返ってくるし。

今、Facebookやアメブロをがんばっているんですけど、「お香」「岡崎」で検索すると私のサイトが一番最初に上がってくるようになりました。コツコツしてきたことの積み重ねですよね。

「ここから私はどう展開していくのか」っていうのが、今の課題です。

佐藤 お子さんのこともお仕事も、これからますます楽しみですね。ありがとうございました!

築いたキャリアをあきらめでも育みたい自分らしい愛の形

長年築いたキャリアをあきらめ、個人事業主として独立した田中さん。とにかくお子さんのために、中間管理職という重要な立場から一個人事業主へ、生き方を大きく変えられました。

会社員として役職につくのも相当の努力は必要ですから、築いたキャリアをあきらめる時も膨大なエネルギーを要したことと思います。

バリバリのキャリアウーマンとして経験もスキルも活かせる場所にいけば、1ヶ月後にはお金も承認も得られるでしょう。

個人事業主として未知の領域に挑戦すれば、不安定だし社会的地位も低いし、大変なこともたくさんあるかもしれません。だけど、付き合う人も働き方も収入も、ぜんぶ自分で決められます。

仕事の時も子供と一緒。「やりたいことがあればチャレンジさせて、世界を広げてほしい」とお話していた田中さん。

お子さんがすくすくと成長するのと一緒に、田中さんもお母さんとして、自分らしい愛し方を育まれているように感じました。

あなたの人生において、一番大切にしたいものはなんですか?

大切なものを大切にするために、あなたはあなたらしく行動できているでしょうか?

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